すべての教育は洗脳である 感想について!

2年ほど前にホリエモンさんの"すべての教育は「洗脳」である"という本を読んで、頭にズドーン!!と衝撃が走ったのを覚えています。

今まで学校に対して抱いていた疑問のすべてが解決した気がして、半端ないカタルシスが生まれました。

 

日本教育のベースになっているものは従来の軍隊

今でも何回か読み返すほどの名著で、日本教育について徹底的に断言調で書いているのは見てて気持ちいい(笑)

この本の内容をまとめると、日本教育は極端に平均を重視し個人が持っている才能や没頭といったものが奪われていることを問題視した本です。

日本の教育に僕や他の多くの人が違和感を感じていたのは、意味のない常識、意味のないルールでした。

それは命令に対して一切疑問を持たずに任務を遂行する軍隊の兵士がベースになっているようです。

どの科目のテストでも平均点にならなきゃいけない。

→1つの科目が極端に得意な子もいるし、そもそも勉強が好きじゃない子は他の好きなことに没頭させれば何か突出したものを生み出すポテンシャルがある。

教師の言うことは絶対

それに逆らうとダメ人間のレッテル貼りを食らう(笑)

よくありましたよね。

僕は小学校2年の時に図書室に本を返すのを忘れただけで、「裸でプールサイドに行きなさい!」と怒鳴られ、実際に裸でプールサイドに行きました(ネタ抜きで実話です)。 当時はあまりに恐ろしい表情で怒鳴られたことで、本当に冗談なのか分からず、とりあえず裸でプールサイドに行きました(笑)

「ほんまに裸になってどないすんねん!」とコントみたいな流れになったのは今思い出しても笑える。

冷静に考えたらすごい肝が据わってる少年ですよね。

給食は絶対に食べ残したらいけない。

→給食でどうしても嫌いなものがあり、食べられずにいた友達が給食後の休憩時間が終わるまで(最悪終わった後も)、ずっと教師に無理やり食べさせられ、いつも水道の前で吐きかけているのを見ました。

当時何かおかしいよな~と思っていましたが、今風に言うとあからさまなパワハラですよね。

今こんなことがメディアで暴露されたら大炎上確定です。

頭髪検査とかいう謎ルール

髪の長さなど誠実さや学業の成績に全く関係がないのに、ちょっと前髪が眉毛より下まで伸びただけでバッシングを食らいます。

髪の色が派手だと不良のレッテルを貼られます。

コミュ力が必要という勝手な常識

→なにか特定の事に対して大きな専門性があってもコミュニケーションが苦手だったらその人の評価がガタ落ちしたりすることだってあります。

多様性などときれいごとを謳っておきながら、コミュニケーション能力があることを常識のように扱います。

でも人それぞれ出来る出来ないというのがあって当然で、そのうえで個人の強みを生かし合うのが理想なのに、コミュ力が低いだけで就活の面接などで落とされやすくなります。

こういった意味のない常識に洗脳され、自分より立場が上の人の意見は正しいと思い込むようになるわけです。

で、自分が本当に好きなことをいつの間にかあきらめてしまい、国・企業・学校が求める人間像になろうとするわけです。
そうすることで、国や経営者にとって都合が良い従順な人間が完成します。

グローバルの到来

グローバルの波で個人の時代が到来するのは時間の問題です。

良い学校に入って、良い企業に入って、結婚して家庭を作れば幸せになるという従来のレールはもうすでに幻想になりつつあります。

グローバルで国境がなくなったことにより市場も世界規模になっていくので今後入社したら一生安泰だと言われてきた数多の大企業もいつ倒産するか分かりません。

そして今後はわざわざ人を雇って育成するよりもスキルを持った個人に依頼した方が手早く済ませることができるようになります。

フリーランスだけで余裕で飯を食える人は今はまだ一握りで、まだまだ発展途上ですが、21世紀を代表する仕事になるでしょう。

シンギュラリティ(技術的特異点)とかいうかっこつけた言葉がありますが、AIが人間と同じレベルの知能になるというのは、そもそも脳の仕組みが完全に解明されない限り一生起こらないでしょう。

余談

レールそのものを否定するのは間違っていると思います。

思考停止で、ただただレールに乗っかることを否定しています。

一旦世間体から自分を切り離し、よく考えたうえで、結果的にレールに敷かれて生きるというのは自分の選択なので何も問題がないわけです。

「周りがこうだから」「あの人がああ言ってるから」ではなく自分で考えたうえでベストな選択を責任を持って決断できるようになれば本当の意味で自分の人生が始まるのかな~と思いました。